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大爆笑祖母の見送り(前編)

2020.05.28

祖母は運動神経が良かった。身軽で、晩年までひょいひょいっと活動していた。だからこそなんだが、自分は大丈夫と高をくくって、「ひょーい!あれよっ」と行動するからケガや骨折することが間々あった。

その血も脈々と、祖母→母→私と受け継がれている。母は私の知っている限り5回は骨折している。うち2回は晩年になってからだから仕方ないとしても、その他の要因はDNA由来の「ひょ~い!あれよっ!」だ。

私?骨折に至ったのは2回でいずれも自爆、そして捻挫、火傷、その他ケガはしょっちゅうで、せっかちな性格も手伝っている。あれ? 姉はどうしたんだろう。あ、姉は運動神経が無いのではなく、運動に興味がないんだ。だから神経が目覚めないんだな。私もかなり学んできた。

あさばあちゃんの子供たちは、母を含め四姉弟みんな運動好き。運動神経が良いし、車の運転もうまい。
母の一歳上の姉は、おひとり様で悠々と暮らしていて、姉弟の中で唯一運転免許を持っていないが、その代わり「あら、自転車より速いし安全よぉ~」なんて言ってついこの前まで原付でブイブイ言わせていた。スピード違反の原付を捕まえたら90近いおばあさんだった、なんてお巡りさんも腰が抜ける。93歳になった今はさすがに乗っていない。当たり前だ。でも、毎日のようにちゃんとお化粧してお出かけ。元気だ。

話を祖母に戻し、あさばあちゃんはかなりの年齢まで、寝る前にストレッチ体操のようなものもしていた。布団の上でゴキブリ体操もどきや、自分なりにアレンジした不思議な体操をすこぶる快調にやっていて、阿佐ヶ谷の家にお泊りに行った時は、顔は紛れもなく“おばあちゃん”なのに、その動きとのギャップに目を丸くしたものだ。「私もやる~!」と隣に寝そべって見よう見まねで一緒にゴキブリ体操した。

そんな活発で健康な祖母も亡くなる前の数年は、施設で誤嚥を起こしたり、肺炎を起こしたり、ちょこちょこと入院することもあった。100歳過ぎて肺炎、こりゃちょっと覚悟が必要かな、と誰しもが思う。それは、かかりつけの病院の医師の皆さんもそうお考えになるらしい。肺炎はお年寄りにとって命とりになる。

「今のうちお会いになりたい方には声を掛けて」と病院からお達しがくる。

そのたびに親戚一同、「こりゃ大変!」と集まる。

そしてあさばあちゃん、翌日復活。お見事。心臓に剛毛。さらに確信深まる。

考えてみたら、病院の先生、特に若いお医者さんは、そんな年寄りを診る事すら初めての経験。だから、100歳過ぎて肺炎を起こしたら、このままお迎えがね、っていうのが大方の予想なのかもしれない。

さて、その「皆様お集まりを」の際だが、病院側は見舞客用の椅子をベッド回りに並べて下さる。親戚一同ベッドを取り囲んで座って、祖母の様子を見守るためだ。

祖母は男二人、女二人子供を産んで、母を含めそれぞれが恐ろしいまでに元気なおじいちゃんとおばあちゃんに育ち(まだ育っている!)、さらにその子供やら孫迄来るからかなりの人数なのだ。ベッド周りには立見席?ができ、最初の頃は、「あら? これでも椅子が足りないですか?」とか言われていた。

しかし、あさばあちゃん、“翌日復活劇場”を繰り返すので、病院スタッフさんもそのうち慣れてきた。
ベッド回り集合となれば、「あ、秋山さん?人数多いからね」とどなたかが指揮を執り、看護師さんや、時にはお医者さんまで総動員でバケツリレー方式で椅子を並べて頂けるまでに見事に訓練された。

あさばあちゃんはベッドに横たわって、その様子をにやにやしながら「あたしはまだまだ頑張りますよ」と思っていたかもしれない。

後編に続く