ぶきっちょ大将(前編)
2017.12.09
姉ははっきり言って、かなりのぶきっちょである。
そしてぶきっちょであると自認しているので、手芸なんぞやる気もない。
例えば、ボタン付け。
ブラウスのボタンが取れたら、取れたまま、あるいは安全ピンだ。
ズボンの裾がほつれてきたら、ほつれたまま、あるいはホッチキスだ。
そしてひそかに待っていた。「ほら、針箱持ってらっしゃい」という母の言葉を。
だから、自分が母親になってからもその手の事は母親任せ、姉の子供たちも何かあったら母親をスルーしおばあちゃんにダイレクトアタックである。
母ははっきり言ってかなり器用だ。
かつては編み物、刺繍はプロ級、洋裁も勿論、手芸なら何でもござれだった。
左手しか使えない今でもしつけ位なら手伝ってくれるし、両手を使える私より折り紙をきれいに完成させる。
私も友達の間では器用と言われているが、母から見ればぶきっちょなのだ。
だから姉は、もう天文学的ぶきっちょなのだ。
そんな姉でも、中学の頃マフラーなんぞ編んでみようかな、という気も起きたらしい。
何となく一般人のお年頃っぽくほっとするではないか。
メリアス編みを同じ目の数だけひたすらいったりきたり繰り返せばいいのだから簡単そうだ。
しかし、母に教わりながら編んだマフラーは見事な長ーい二等辺三角形になった。
ぺ、ペナントか?(そういえば、ペナント、この平成の世の中に現存しているのかな?)
超大作手編みペナント完成。お見事。
それ以来すっぱり諦めたということなのか、関心を向けることをシャットアウトしたということなのか、はなっからやらない、やれない、興味ない、その潔さたるや一点の曇りもない青空のごとしである。
そうは言っても高校の時は、「家庭科」という授業があり、好き嫌いにかかわらず洋裁和裁をしなければならなかった。
毎回サボるわけにもいかない。
そしてついに姉にとっては人生の最大の難関とも言える「自分の浴衣を縫う」という授業がやってきたのだった。
次週、後編に続く