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ぶきっちょ大将(後編)

2017.12.16

「自分の浴衣を縫う?」
その時の姉の顔は見てないが、きっと斜線が100本くらい入っていたと思う。
そして彼女は考えた、いや、何度も言うが、はなっから自分で縫う気などなかったと思う。

「授業中に縫うのが大原則、家に持ち帰り禁止」という先生のお達しを彼女は聞かなかったことにし、授業が終わるとカバンにこそこそと浴衣生地を詰め込み、不気味に膨らんだカバンを下げて家に帰っては、その日の授業で進んだところまで母に縫ってもらっていた。
これまた時効、ということで。

授業中は何をしていたんだろう?きっと縫う振りのパフォーマンスだ。
大得意分野だ。

そのくせ、主張は黙っていられないから手を上げて「先生、私どこを縫っているんですか?」と聞いた事もあるそうな。

さて、母も「自分でやりなさい」と言っても見込みが全くないことがわかっているから渋々なんだか意気揚々なんだか知らないが、せっせと娘の代わりに浴衣を縫っていた。
ビミョーにへたくそに縫わなくてはならないから苦労したに違いない。

父の作文代行といい、母のお仕立て代行といい、うちの両親はかなり姉に甘いのだ。

そして、授業は袖を見頃に縫い付ける寸前まできた。
勿論彼女はいつものように持ち帰った。
そこで事件が起きた。

ま、事件というより姉にとっては日常茶飯事、というか王道、というか、家についたときはなぜが片袖しかなかったのだ。
さーて困った。何しろ、“先生が放課後鍵をかける棚に納められているはず”の生地が無くなったのだから言い訳が立たない。

姉の縫いかけの浴衣の袖を盗むようなおめでたい人間はいないから、「泥棒!」と叫んだところで虚しい。
しかも姉は一応生徒課に遺失物届けを出したらしい。
真面目なんだかいい加減なんだかわかりゃしない。

和裁をやっている方ならご存知だと思うが、浴衣生地にはほぼ余りもないから、もう一枚調達もできない。
でも良―く考えてみれば困ったのは母で、姉はいつもの調子で「あ~ら、どこいっっちゃったのかしら~?落とした覚えはないなぁ~」ってなものだったのかもしれない。
いや、そうに違いない。

だって、裁断された生地のどの線がどの線にどうくっつくかも知ったこっちゃないのだから、それがどの程度大変なことかもピンときてなかったと思う。

そして、来るべき時が来た。

浴衣の授業も最後の回を迎え、試着の時がやってきたのだ。
クラスメイト達は自分で浴衣を縫い上げたという達成感の中、試着して夏祭りに行くかのようにキャッキャッとはしゃいでいた。

それを横目で見ながら、姉は「自分で縫ったふりをした実は母が縫った浴衣」に袖を通した。
じゃじゃ~ん!「よっしゃー!がっつり働くぜー!」
それはそれは見事な筒袖であった。

皆がたもとをひらひらさせているのに、姉一人とても動きやすい筒袖のガテン系浴衣である。
母は、片袖分の生地を半分にして両袖を縫ったのだ。

母の苦肉の策を見て先生が何とおっしゃったのか私は知らない。
まあ、百戦錬磨の先生の事だから、大体の事情は察知済みだったのだろう。

そもそも、姉は授業中に「秦さん、前を向いて自分の浴衣を縫いなさい」と何度も先生に注意されていたらしいから縫った振りもとっくにばれていたんだろう。

これで通ってしまうのが姉なのだ。

そしてこれで証明されたのは、母の機転の利かせ方、そして何よりも「おおらかさ」でもある。
やはり、姉を産んだ母なのだ。

さて、半年に渡り綴ってきましたが、異星人は今もエピソード増産中。これを書きながら、私も自分の家族と自分自身を振り返る良い機会となりました。だからって成長したとは決して申しませんが~。
異星人をこの世に送り込んだ父と母の製造元責任も問いつつの話を又語れる時もくるかな、と。
それまでしばらくのお休みでーす。
長らく有難うございました!
また、よろしくお願い致します!