あ~学芸会(後編)
2017.07.22
考えてみれば、姉は幼少の頃から他人様の前で自分の芸を披露するのが好きだった。
祖父や父の客人が家に来ると、頼まれもしないのに、母手作りのチュチュをはいて座敷下手から登場。
つつつーっと正面に進み出て、訳のわからん創作踊りと歌を披露していた。それを見て「何じゃそりゃ?」なんて言う客人はいなかったから、かなり図に乗って踊り、歌いまくっていたらしい。
「いや~まりこちゃんは才能あるねぇ~」なんてお客さんに褒められて良い気分になっていたのだ。
だから、学芸会への立候補も彼女にとってはごくごく自然なことだった。
さて、前編で述べた通り、「小学校6年間を通して学芸会には1回しか出られない」と知った姉の落胆ぶりはかなりのものだった。なんせ、あの自分のポリシーに反するセリフ、しかもたった1回のセリフ「どこに行くんでしょうねえ~」のために6年間を無駄にしてしまったからだ。
それからというもの毎年その時期が来ると彼女は忸怩たる思いをしたようである。
しかも最後の最後、6年生の学芸会で、なんと、それまで自分から全く手をあげなかった同じクラスのY君が主役に抜擢された。このことは彼女にとどめを刺した。その時の姉はどんな顔をしていたのやら。
しかしながら、人生わからない。
脇役体験の悔しい思いがその後花開いたのだ。姉は中高と長年学芸委員を務め、高校の時の出し物「白浪5人男」は代々語り草になるほどの素晴らしい演目だった。しかも、彼女は制作側の黒子に徹し、文字通り舞台袖で黒尽くめの衣装で拍子木も叩いていた。お~お~大人になったの~(涙)、である。
ところがこれを書くにあたり、姉に役名などを確認しようと話を聞いていた時の事。
6年生の時主役を演じたY君の事を
「Yったら、整形外科医なんかになってさ~」と若干とげのある言い方をしていたのを私は聞き逃さなかった。結構じゃないの、賢く“控えめ”なY君はお勉強をしっかりしてお医者さんになれたのだ。それなのに姉ときたらいまだ学芸会の無念さを忘れていないらしい。Y君もとんだとばっちりだ。半世紀前の話だ。結構しつこい。ちっとも大人になってなかった。
そういう私も学芸会では似たり寄ったりの役「木の葉」その1だったかその2だったか。勿論自ら手をあげて、なんてことはしてない。当然ながら脇役で悔しいなど思いも及ばなかった。しかも、根が真面目なものだから北風が吹いて木の葉がハラハラ舞う、というシーンで渾身の演技を披露、目が回るほどくるくる回ってスカートは舞台と平行になるまで広がり(プリーツスカートだった)50年経った今でも、「ハタチったらさぁー、思いっきりパンツ丸出しでさ」と口の悪い友達にいじくられているのだ。
ま、姉妹そろってろくな思い出じゃない。
そして最後に明かそう!小学校1年生の姉の意地を!
彼女はセリフが短いという理由で、練習時から( )でつけられた補足説明まで全部読んでいたらしい。“その台詞をもったいぶって言いなさい”という指示(もったいぶって)である。「どこに行くんでしょうねえ~かっこもったいぶってかっことじ」と。
先生に何度注意されても、本人にとってはセリフが長い事の方が優先事項だったのだ。
あっぱれ!
本番でそれを言ったのかどうかは私は知らない、というか、怖くて聞けない。
皆さんにも大なり小なり学芸会の思い出があるのでは?
次回に続く