rRAMPAPPA(ランパッパ) / アーチスト秦万里子の自発信サイトrRAMPAPPA(ランパッパ) / アーチスト秦万里子の自発信サイト

ナイスパフォーマンス~スチュワーデス編(後編)

2017.08.26

いま思い起こせば、よくもまあ、あんなテキト~英語がつらつらつらつら口から出てきたものだ。日本語で「ただいま、当機は○○上空、…」みたいなことを言い、そのあとすぐに英語でのアナウンスが続く。

いったいどこで、英語のリズムや雰囲気を学んだのだろう。当時日本ではアメリカのホームドラマをよく放映していたが、それらはほぼ吹替で、顔は外国人なのに口から出てくるのは日本語だったような。姉が初めて本物の国際線に乗ったのはそれからずっと後の事だし、幼少の頃から英語を習わされるような教育一家、なんてこともなかったし。

ということで、姉に聞いてみたらテレビの音楽番組から仕入れたそうだ。そう言われてみれば、その頃「アンディー・ウイリアムスショー」「エンゲルベルト・フンパーディングショー」「トムジョーンズショー」なんぞを放映していて、本場本物の音楽と英語が流れていた。トムジョーンズが腰を振って歌いながら花道を進み、自ら蝶ネクタイをゆるめる。観客のお姉さん?からハンカチを受け取りそれで汗を拭いて、「キャ~ッ!ギャ~ッ!」という黄色い声を浴びていたのを覚えている。トム・ジョーンズってアンディー・ウイリアムスよりいやらしい…、と幼心に思っていた。ついでに、なんで汗のついたハンカチが欲しいのかな、ばっちいのに、とも思っていた。姉曰く、「エンゲルベルト・フンパーディングはもっといやらしかった」と言う。なんだ、姉妹そろって、「エッチな感じぃ~」と思いながら背伸びして外国の音楽番組を観ていたのか…

とにかく、姉は水戸黄門や相撲中継の合間に、そういう番組からちょっとづつ英語情報をゲットしていたようである。しかしながらよく耳にする決まり文句は合っているが、つなぎは口から出まかせの“英語もどき”に違いない。

幼かった私は「お姉さんは英語がペラペラだ!」と思っていた。思わされていた。

すっかりだまされた。

とにかく、テレビから聞こえてきた英語の音を取って、口から出まかせ勢いに任せてスッチーになり切り機関銃のようにアナウンスする。いわゆる決めぜりふ、要所要所は合っているから外人も騙されそうだ。

幼い私なんぞ完全にノックアウト。

そして、姉の頭の中には、すっかり満席の機内の情景が出来上がっているらしいが、そこは八畳の畳の部屋。親が寝室に使っていたから、マットレスやら布団なんぞが積んであったり、書院造の棚の上にはガラスケースに入った頂き物の博多人形。生活感丸出しの空間。私はずっと椅子に座らされ、姉のパフォーマンスを見物するだけ。楽しかったか、と言われれば…当時はそれでも楽しかったから余計腹立たしい。なんせ、「英語」が聞けたのだから。しかも、記憶にはないが飴食べ放題。

超ドメスティックな空間で、すっかりインターナショナルな気分になっていた。

何度も言うがだまされた。

ちなみにうちの母は「万里子は口から生まれた」と今でも言っている。

日光にドライブ旅行に行った時もずーっとバスガイドになりきって喋り続け、ついに母に「万里子、1分でいいから黙ってなさい」と言われた。

そういえば、「今日の料理ごっこ」もあったような…

「はい、こちらは良くかき回してなじませるために置いておきまして、その間、こちらを30分180度のオーブンに入れまして、ハイ、こちらに出来上がったものが…と言いたいところですが一人でやっていてそれが出来ないのが秦万里子の料理番組!なので30分待っていただきます!」なんて一人でつらつら喋っていた。ま、いずれにしても姉一人でやっていた。「独壇場」という言葉は姉のためにあるんじゃないかと思えてきた。

間違いなく言えることは日本語も英語もどきもよく喋るということ。

姉の持ち歌に、自分の憧れていた職業を振り付けと共に歌う歌がある。皆さんが、笑顔で振りを付けて歌って下さっているのを大変有難く、嬉しいと思う一方、私はあれを聴くと姉の超得意満面顔、今風に言えば「どや顔」を思い出す。それに加え曲名ときたら「憧れのお姉さん」

ちょっと、いや大分複雑な気分になるのである。

 

次回に続く