さっぱり系三代(前編)
2020.05.14
父に「おまえは赤ん坊のころから冷めとった」「“おぎゃー!”も冷めてたぞ」と言われた事がある。
娘に良くもそんなこと言うわ、とその時は思ったが、今思えば言い得て妙である。元々冷めている上に姉が“お祭り”だから、それを小さい頃から見ていた妹の私はどんどんどんどん沈着冷静になっていったのだ。何事もさっぱりとこなさなくては生きていけない、いわば処世術。
でも、情が無く人に冷たいわけでは決してない。あの手のかかる異星人と、まだ姉妹関係を断ってないのが何よりの証明だ。
姉はさっぱり系、とも言えるが、私から言わせれば「さっぱり忘れる系」である。皆さん、これを読んでうなずいているのが見えます、見えますー。あ、何を言いたかったかというと、この姉妹のさっぱり具合は母からきているのだ。そして、その母の血は母の母からきている。
阿佐ヶ谷に住んでいる祖母だから「あさばあちゃん」と孫たちは親しみを込めて呼んでいた。
明治生まれのあさばあちゃんは、なんと満108歳まで生きた。煩悩の数だ。
機知に富んでいて、小柄できびきびしていて、お茶目で元気な祖母が私も姉もだーい好きだった。
とにかく後ろを振り返らない、愚痴を言わない、前向きな年寄りだった。祖母の口から「あの頃は良かった」とか「今の若いもんは」とか一度も聞いたことがない。孫と一緒になって無邪気に遊んでいた。
その性格からあぶりだされた逸話は沢山ある。
なんせ、祖父の臨終に立会い、「おじいさん、目、開けてくださいな!」と天に召される自分の旦那の瞼を親指と人差し指でグイっとこじあけた人だ。
こんなこともあったっけ。祖父を荼毘に付すにあたり,彼の心臓のペースメーカーが胸から取りだされているかどうかを確認しなくてはいけなくなった。祖父のお棺は奥の暗い座敷に安置されていた。
「それって、お棺開けて見るのぉー?」「え~、ちょっと怖い~」「だれか行ってえ~」
親戚の誰もがビミョーに怖がって、座敷に行くのを躊躇していたところ、あさばあちゃんすくっと立ち上がり、
「何?ペースメーカー?あたし見てきますよ」と小走りにさっさと見に行き「はい、抜かれてました!」ときっぱり。
彼女にはペースメーカーは全く御無用。あさばあちゃんの心臓には剛毛が生えていたらしい…
又こんな事もあった。同居している長男のお嫁さん、私にとっては伯母(と言ってもその時すでに80歳近いが)が毎朝祖母を起こしに部屋に行くのだが、起こすのを忘れて遅い時間になってしまった事があったらしい。慌てて祖母の寝室に入って
「おはようございます!」
と挽回とばかりにひときわ大きく明るい声で声を掛けたら、なんと!
ぼけてきているはずの100歳を越えている祖母が
「おそようございます」と言い返したそうだ。
ボケてなかった。
お嫁さんへの対抗心もまだメラメラ燃えていた!
また、こんな話もある。伯母のご母堂はご主人が亡くなってから何年もたっても、めそめそすることがあったそうで、「私の母、父が亡くなってから何年も経つのに、まだ忘れられないでめそめそ泣いているんですよ」と連れ合いを先に亡くした同じ境遇の祖母に言ったそうな。祖母は間髪いれず、次のように言ってのけた。
「へぇー!何年もですか。私は半日!」
後編に続く