過ぎたるは猶及ばざるが如し~好き嫌い(前編)
2017.10.28
姉には食べられないもの、ちっとも興味のない食べ物が結構ある。
私と同じ環境で育ったのに、しかも年寄りのいる家庭で育ったのに、あ~日本人でよかった、というものが嫌い。無関心と言った方が近いかもしれない。不可解千番。
漬物、魚介の佃煮、スルメ、珍味の類、いかの塩辛なんて1ミリも食べたことないんじゃ?「あ~た、外人?」と言いたくなる。
いや、この頃の外人は天ぷら、寿司だけでなく納豆やらおでんやらマニアックなものも食べるから、姉は「一昔前の外人」だ。
ちなみに私は全部好物だ。塩分過多だ。
そうそう、姉はお寿司も小さい頃はしゃりだけ食べていた。魚介類にさほど興味がないのである。大人になってお寿司は食べるようになったが、いくら、ウニ、エビなんかは今でもまるで興味なし。魚介の味が口の中で広がることに幸せを感じないのだと。ちなみにステーキのコースなら二回りいけるそうだ。太る。
「日本の食文化を後世に」なんて活動をしている人たちからしたら姉は非国民この上ないのだ。魚醬なんてまるで姉の対角線上にあるアイテム。魚醬…きっと読めないしね!
そして行楽弁当の類も決して好きではない。
中身の素材の問題ではなく、白いご飯に隣のおかずの味が染みていたり、漬物の色が移っていたり、揚げ物のソースがはみ出してプチトマトになんかかかっちゃっていたらもう彼女の中では失格!許せないのだ。それが小さな箱の中に共存しているお弁当の宿命だし、おいしさでもあり楽しみでもあるのに、と思うんだけどなあ。
きっと「海鮮丼」はごはんの上に違う種類の魚がくっついてのっかっているんだから言語道断、なんだろうな。
私に比べそういうところが妙にデリケートだから不思議。一見姉は何でもかんでも食べそう、私は好き嫌いがありそう、なのに、その逆だから人間、見てくれではわからないものだ。サラダに果物が入っているのも許せないらしい。そして、姉と全く同じ嗜好を持った私と同い年の母方の従兄がいるから面白いものだ。
新年会などで顔を合わせると、姉とそのいとこは許せない食べ物の事で盛り上がっているのだ。「そうそうそう、たまらんよねー、あんなもの入れるなんて!」と二人で妙に盛り上がりやたらと嬉しそううだ。血のつながりとは恐ろしい。
そして姉には“ある理由”で後天的に食べられなくなったものもいくつかある。
その笑っちゃう「ある理由」とは…
次回、後篇に続く